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旅のエッセー
ヒマラヤ山脈を越えて〜標高4300メートルで食べたそうめんの味
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大きなタンカを拝む雪頓祭
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 さて、雪頓祭のメィンイベントは山の斜面に沿ってタンカと呼ばれる幅50m以上の巨大な仏画を開帳して拝むというものである。見物にいい場所を確保するために、われわれは朝の4時に起床しバスに乗り込んだ。お祭の場所となる山の頂上近くにあるデプン寺に向かう道はバスの乗り入れが禁止され、真っ暗な坂道を歩くこと1時間半。山門から先は足の踏み場所もままならない急傾斜。祭場の周囲は鋭い斜面に沿って、既に大勢の人が場所を占めていた。懐中電灯の光をたよりにやっとの思いでお尻を下ろすスペースを確保する。寒さに震えながら待つこと更に1時間半。空がだんだんに白みだした頃、若い僧の一群がタンカを担いで現われ、作業に取り掛かった。薄暗い中、上から徐々に広げられていく仏様の絵姿が全て完全になった時、突然山際から現われた太陽の光がそれを照らした。左上の角から明るくなった図像は徐々にその範囲を広げ、仏様が朝日に燦然と浮かび上がってくる。その神々しさに心を揺さぶられた。
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祭りを見に来た人々
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なんと劇的なシーンだろうか。お坊さんたちの読経の声と低音の吹奏楽器の音色が響き、盛大に焚かれるお香の煙が立ち込める。図像がはっきりと見えたのもつかの間、煙が山全体を包み込む。カタというお供えの白い布を持った参詣者が、列をなして続々と山に登ってくる様も壮観であった。

  翌朝はいよいよラサを離れ、カトマンズに向かう縦走の旅のスタートであった。ホテルの前に大分くたびれてガタのきた4WDが4台連なりわれわれを迎えた。一応全車トヨタ車である。運転手を入れて4人と5人づつ分乗した。快適な旅の始まりではあったが、市内を離れると無舗装の道になり途端に揺れだした。いつも舗装道路しか走りつけていない者にとって土の道がこんなに揺れるものとは予想外で、結構スピードも上げるから車輪がくぼみに入る度に大きくバウンドし、身体が放り出されそうになる。うとうとしだした時にバウンドすると首に対するショックが大きい。半日も車に乗っていると鞭打ち症状のように首筋が痛くなってきた。これでは先が思いやられる。対策は両手を首の後ろに回し、首全体を支えてやることだ。これでショックは大分和らいだが、ゆれで頭が痛む。

実はラサ滞在中から私を含め大部分の人が高山病の初期症状だった。こちらでは観光客用に簡易式の酸素ボンベが売られている。ステンレス製の魔法瓶程度のサイズで一本30元(約450円)。連続使用で5分間持つが、息を吸うときだけ開けてこまめに使うことで一時的には酸欠を補えるものの、これは気休め程度。症状は二日酔いと似て、軽い頭痛と倦怠感。夢の中で、歩こうと思ってもなかなか手足が進まないことがよくあるが、ちょうどそんな状態でスローモーションのようにしか身体が動かない。座高の高い4WD車に乗り込むだけでも息切れがする。おまけに私は雪頓祭の寒さがたたったか、風邪を引いてしまったようなのだ。体温は37.5度、身体が重い。これをこじらせたら大変である。

  崖の狭い道にはガードレールなど在るわけもなく、車同士すれ違う度にヒヤヒヤさせられるが、案の定、今しがた落ちたばかりと思われるトラックが腹を見せて転がっているのを目撃した。その晩テレビで、われわれがたどった同じ道でバスの転落事故があり、運転手を含め3人が死亡したニュースを報じていた。要するにここでは事故は日常茶飯事なのだ。われわれがその当事者にならないことを祈るのみ。

  トイレは全行程ほとんどが青空トイレ。広々とした条件のところで停車し、男性は右側、女性は左側というふうに指示が出る。両者とも始めは姿が見えなくなるまで離れて用を足していたものだが、だんだん慣れてくると近くなってきて、しまいには男性は崖側で、女性は山側の車の影でということになっていった。慣れとは恐ろしいものだ。もっとも、条件のよい所ばかりとは限らないから仕方が無いが。
  そんな小休止の合間、人影も見えなかったのにどこからともなくチベット人が現われ、ものめずらしそうに寄ってくる。それは冷たい風が吹きさらす峠の頂上でも同じである。車の中を覗き込んだり、われわれの話の中に割り込むようにして近づき、だまって手を出す。何かくれという意味だが、施しは中国人ガイドから堅くとめられている。おもらい根性が大人から子供まで浸透している感じだが、そうせざるを得ない貧しさの現われでもあるだろう。無視するほかないが、彼らからすれば金持ちの国からやってきて自分たちを一眼だもしない、強欲なやからに見えることだろう。ちょっと自己嫌悪におそわれながら、同じ地球上で生をともにする人間として貧富の落差について考えざるを得なかった。

  次の宿泊地シガツエで私の風邪を心配した添乗員のIさんが、医者に見てもらうようにしきりに勧める。こんな微熱程度でと思ったものの、「もうこの先は病院がありませんから」と言われて従った。ホテルまで診察に来た若い医者は一抱えもあるような薬を置いていった。風邪薬、熱さまし、高山病の薬、抗生物質と飲むのが大変だ。その夜猛烈な下痢に襲われ、何度もトイレに行った。大量に飲んだ薬のせいではないかと思ったほどだが、痛みも無いから風邪の後遺症だろう。トイレに不自由する国で下痢とは大変なことになったと心配したが、不思議なことに翌日車に乗り込んだらピタリと止まった。胃腸の中のものを全部出し切ったのがよかったのだろう。数日で熱も徐々に下がってきたからやはり薬の効果はあったようだ。

  ラサを発って3日目に着いたシェカールがベースキャンプを望む最終宿泊地である。標高は4300m、ホテルがぽつんと建っているだけで何も無い。翌早朝、曇り空だが期待を込めてエベレストに向かう。村の外れに検門所がありパスポートとビザのチエック。ここで入山許可証をもらう。そこから先は同じチベット領といえども外国と同じなのだ。

  走ること4時間半でようようベースキャンプに到着。雪山が迫る素晴らしくも壮絶な光景だ。目的のエベレスト山は厚い雲の中。ミゾレが舞い寒いこと寒いこと、お昼の弁当と魔法瓶のお湯でこしらえた味噌汁を手渡されたが食事どころではない。うろうろしていたら仲間の一人が呼びに来た。そばにレジャーシートで覆った仮小屋が数件、そこが茶店だったのだ。嬉しいことにインスタントラーメンが置いてあり、それを作ってもらいやっと人心地ついた。バター茶と当地の主食とされるツワンパも勧められた。ツワンパは小麦の粉をバター茶で練ったものだが、美食に慣れたわれわれにはやっと喉に通る程度の粗末な食べ物だ。チベットの僧侶は一生をこれだけで過ごすという。

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前方の山がエベレストの裾部分
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   同僚の弾んだ声で外に出てみればミゾレも止み、少しずつ雲間からエベレストが現われつつある。しばし、前方の平地の先に山裾がはっきりと見渡せるようになったものの上半分は雲の中。すぐそばに迫った山容にはそれほど高さが感じられず、これがあのエベレストとは思えないほどだ。滞在時間1時間を30分延長して待ったが、どうしても頂上の雲が切れない。それでも皆さん大満足。添乗員も「このツアーはついています」と言う。それだけこの恥ずかしがり屋の山は見るのが難しいということだ。

  その夜の食卓には何とそうめんが出た。聞けばU旅行社の定番サービスでどんなツアーでも一度だけ出るとのこと。添乗員が材料もザルも持参し、ホテルの台所を借用してゆでるのだそうだ。連日の中華料理に辟易しだした時だけに嬉しかった。しかし、食べて見ればなんとなくねっとりした感じで、日本でのようにサラッとした歯ごたえが無い。それもそのはず、標高が高ければ気圧が低くなるからお湯の沸点も下がる。3300mの富士山の頂上で87、8度というから4300mのこちらではせいぜい80度程度だろう。これは調理人の腕の問題ではない。私たちはひたすらに添乗員Iさんの涙ぐましい努力に感謝しつつ、味わった。

  ちなみにチベットでも日本の冷麦に似た麺がメニューに加えられることが多かった。それはゆで汁とともに出され、やや塩味がついているだけなので見かけほどは美味くは無い。当然麺つゆなどといった風流なものも無い。考えるに、当地では麺だけを食べるのではなく、ご飯と同じように料理とからめて食するのではなかろうか。
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